「本の中の言葉達」

「人のことを批判したくなった時には、
だれもが自分と同じように恵まれた環境に居るわけじゃないってことを、
ちょっと思い出してみるんだ。」

これはスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の中
最初のページに出て来る主人公の父親の台詞。


人間誰しも他人の事はよく分かる。
一番分かりにくいのは、自分の事。


誰かの悪口で盛り上がったり、
その人のマイナス面だけを取り上げて
さも自分は世間のことがよく見えているような
そんな低次元な錯覚を礎に喋り続けてみたり。


自分の目の前で誰かの陰口を叩いているヤツは
どこか別の場所で自分の事を同じように話している。
これはかなりの確率で、間違いのない事実。


そんなヤツと付き合っていると言う事は、
ある意味自分もその同じカテゴリーに居るんだと言う事の、
裏返しでしかなかったりもするのだけれど。


誰か他人の、いい部分を見付けてそれを言葉にするというのは
実はかなりの集中力と体力を要する作業で、
それはたまたまギターを教える機会を与えられた俺が
その最中に生徒達から教えられた貴重な教訓。
バツの数を数える義務教育に慣れている我々は
基本褒められることに慣れていない気がする。


なにしろ楽な方楽な方へと流されがちな毎日の中、
他人の批評をしているほうがらくちんなんだろうと思う。


その前に誰かが自分にしてくれた事や、
自分のために割いてくれた時間の事を、
本当に大切に思えるゆとりが欲しいと、実感している。


競争社会だなんだという世情からすると
いかんせん報われない気持ちではあるけれど、
これまでの人生を振り返ると、
さして間違ったことではない気がするわけです。

「正しいことというのは、
あとで気分がいいことなんだ」

ロバート・B・パーカーが作中引用している
ヘミングウェイの言葉。


これから先も忘れずにいたい気持ちです。
ことあるごとに、思い出す言葉です。

July/04/07

さて、今年初めてのコラムは今までと少し嗜好を変えてドキュメンタリータッチでお届けしてみます。
コラムでは初の画像も絡めてみましたが、小さい写真をクリックして出てくる大きな画像は放っておいてもクローズするようにしてあります。だからいちいち閉じたりしなくても大丈夫、気にせずテキスト画面をアクティブにしてどんどん読み進んでいって下さい。

では新江ノ島水族館 私的見聞録をどうぞ!

4/19/04

「台所にドライバー」

我が家の家事の割り振り上、食事の後の洗い物をする機会が多々あります。
汚れたものを綺麗にするのは嫌いじゃないようなので全然苦にはならないのですが、
逆にいうと汚れても綺麗にすればいいや的に放ったらかしにしているモノも多いのが事実。
つまり特に綺麗好きとかそういうんじゃぁないみたい。普通、なんでしょうね、きっと。
でも、使い込まれたフライパンとかにこびり付いた焦げなんかはとても気になる。
古いエンジンをピカピカにした経験を生かし、ついムキになって磨いてしまう。
こんのやろ〜、しつこい汚れだなぁ〜、とゴシゴシ落としていたのが実は汚れではなく、
落ちかけていたテフロンで、事態は更に悪い方向へと進んでいくこともしばしば。
もう使い物にはならないでしょうね、あれ。南無〜。
それ以外にも気になるといえば鍋のふたに付いていたりする取っ手の部分。
使っていると自然に緩くなってくるんですね、ああいう部品は。
あれが緩んでいたりするともう我慢出来ない。
チーフはそういうのがあまり気にならない人なようで、「ふ〜ん」とか言ってますが、
俺、ダメなんだよねぇ。
キッっとなるまで工具を持ち出してキチンと締め直してしまう。
一カ所そういうのを見つけると色んな引き出しの取っ手も気になりだして、
引き出しに近づくと今度は収納棚の扉の閉まり具合までが微妙に気になる。
結果、洗い物の途中で水道は出しっぱなしな上に、何も片づかないままなんか他の事をしている。
叱られるわけです。何をしてるんだ?と。当たり前だわな、まず。
振り向いた俺は泡まみれの手でドライバー片手にしゃがみ込んでいるんだから。

とかく女性は台所に男の手が入った後、いつも通りでないその様に使いづらさを訴える。
一個のことをやってるうちに段々他のことまでいじりだしてしまうからでしょうが、
もともとはこれじゃ使いづらいだろうなぁという優しい心情がベースになっている事を、
一体どうやったら正確に伝えられるのか?、当面のテーマであります。
男性全般がそうなのかは分かりませんが、どうも視点がね、ずれてしまうみたいですね、俺は。
もちろん本来の皿洗いという業務をさっさと終わらせて、
何事も無かったようにお茶でも飲めればいいのですが、世の中上手く行かないモンです。
散々回り道をしてやっと皿洗いに戻ってきたかと思えば、やはり気になるフライパンの焦げ。
よしっ、今度は違う洗剤で試してみよう!ゴシゴシ、ゴシゴシ.....そうだっ、ボンスター持ってこよっ.....

つまり俺が台所にいる限り全く作業に進展はないまま時間だけが過ぎていくのです。
本人は本人で思いもよらないカオスに飲み込まれていき、更にまた別のカオスへと、
終わりのない旅のような大冒険を続けている。これじゃ救いがどこにもない。
それもこれも洗い物がいつまでたっても俺にとっての日常に組み込まれないからなのかもしれないです。
自然にこういうことが出来るようになったらそれはそれでクールじゃないかと思いますが、
なかなか難しいです、男だからなのか?俺だからなのか?よく分かりませんが。
果たして世の男性陣の中でどれだけ同じ苦悩を抱えている人がいるのか?
これもまた不明ですが、とりあえずエールを送っておきます。
「めげるなっ!台所の男達よ!」

さ、怒られる前にドライバーを片づけなくちゃね。

Sep/26/03

「幸せは白いTシャツ」

ライブの朝、引き出しを開けて考える。今日は何を着ていこうか?
とは言っても、俺の引き出しに入っているのは四十枚程のTシャツ、ただそれだけ。ボタンの付いた服が苦手なためにこんな有様になってしまった。もういい年だっていうのにネクタイが天敵で、普段は人並みの生命力を持つ俺ですがネクタイ着用時は三分間しか地球上に生存できないのだ(しゅわっちっ!)。これは冗談ではなく、ある結婚式で無理をしたために死にかけたことさえあった程で、カナダで結婚式に出た時はスーツの中身はTシャツ、足下は上着と同色のスニーカーという外交上いささか問題のあるなりで唄いきり、何とか許して貰い乗り切ってみたりして。そんなこんなを繰り返しているうちにTシャツしか着られない身体になってしまったのだ。一時はポッシュボーイで働いていたというのに、情けない、自分のバカ!、である。

いつもいつもラフな格好に見られがちなTシャツライフだが、そこには限定されたごく個人的な規則がきちんと確立されてもいるのです。Tシャツにも良い物とそうでない物があり、着ていく場面を選ぶ物なのだ。つまり、勝負下着にも似た意味合いの「フォーマル用Tシャツ」が存在するのである。俺が人前に出る時に着ているのはこのフォーマル用なのです。もちろん誰も気づかないけれど。しかし、問題なのはその寿命と、時々本人さえ見分けがつかなくなるその明確な区別である。AcousticCampのTシャツなんかは十年着込んでも格好良いようにとよれ具合まで計算に入れて生地を選んだりしているので少しくたびれたくらいがちょうどフォーマルに適していたり、ちょっと前まではこいつがあれば当分大丈夫、なんて思っていたビシッとした一品が知らぬ間に襟がのびてしまっていたり、その管理は想像以上に複雑なんですね。

Tシャツの柄なんてものは半分以上が自己主張だと思っているのでどんな有名ブランドでも嫌いなものは一度も着ない。基本的には着たいものしか着ない。で、また俺が回っているお店のほとんどが、何周年記念とか、何とかウィーク記念とか、結構マメにオリジナルプリントを出してくれるので(またデザインが良いんだ)、今まではそれらをいいタイミングで購入しておけば不自由はしなかったのですが、この夏、とうとうどれがフォーマルなのか?境界線はどこに存在するのか?俺もチーフも決めかねる位のTシャツ飢饉が訪れてしまったのです。引き出しを開けてもほとんどが馴染みの顔ぶれで、みないい具合によれている。恐らくはちょっとしたお出かけ時についついフォーマル用を着てしまう俺の判断ミスが原因で、全てのラインナップがカジュアルという地平に降りてきてしまったような。とにかくこれは一大事、大ピンチなわけ。当然誰にも理解されないけれど。周りはだませても(?)本人のこだわりがそれを許せない、そんな事件なのでした。

しかし世の中捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものです。そんな絶滅寸前のステージ衣装の連鎖ピラミッドにスポンサーが付くことになったのです。果たして俺が着ることで少しでも宣伝効果があるのだろうか?という疑問は残りますが、ありがたくお世話になることにしました、Tシャツスポンサード!これからは毎回色違いのTシャツで皆さんの前に立ち続けることでしょう。その目玉のマークを見逃さないでね!七里ヶ浜のMoonEyes By The Sea、りゅーまろ共々よろしくお願いしておきます。とにかく、わーいわーい!、嬉しいなぁ!。

Aug/25/03

「Company」

もう十年以上前になるだろか。今やスタジオを構えて制作活動を繰り広げている友人O氏に宿題として借りてきたCDがあった。その中に入っている一曲を指して彼はこう言ったのです。
「りゅーまろがこんな風に唄えたら、考えてもいいよ」
その当時一体なにを考えてくれるつもりだったのか、今となってはお互いに不明だろうけど(笑)、でもその後実は俺、テープの両面にその曲だけを入れてずっと練習したのです、こっそりと。ダイアンリーブスの唄う[Company]ってのがその曲。もともとはリッキーリージョーンズの曲でそっちも聞いてはいるんだけどね、俺はダイアンリーブスのテイクのほうが、好きです(キッパリ)。で、三年くらいはそのテープを聴き続けていたんだけど、ある日あろう事かデッキに絡まってそのテープがプッツリ切れてしまった(笑)。志半ばにしてお手本を失った俺は彼に内緒で必死にそのタイトルも覚えていないアルバムを探すわけです。まあね、いろんなことがありました。間違えてダイアンシュアのアルバムを買ってしまったり、ダイアンレインでもいいかなぁなんて映画館へ行ったり(すいません、嘘です)結局そのアルバムに当たらないまま何年かが過ぎてしまい、すっかりダイアン教になってしまった俺は新しく出るアルバムも欠かさず聴き続けていました。

[Comany]...交友、親交、交際、友情
この唄で使われるCompanyの意味は多分こういうことだと思う。そんなことを知らなくても彼女の歌は心の中でそこいら辺の琴線を弾いてしまう。何百回も繰り返してそらで唄えるくらい覚えているこの唄、振り返れば間違いなく自分が変わってしまった一曲なんだよね。どうしてもね、本物をもう一度聞きたくなって、先日O氏を訪ねてMDに落としてもらいました。(参加ミュージシャンの皆さん、ダイアンリーブスさん、本当に申し訳ございません)というのもN.Yよりも在庫が豊富だと言われる今の日本のCDショップ、それなのにどこをあたってもこのアルバムが手に入らないんですよ!バムッバムッ(何か叩いて下さい、適当に。)しかも本国のAmazon.comにも在庫がないとのこと(全く余計なもの作ってないでこういうものを大事にしろってんだ)。だからさ、他に手がなかったんだもん、この曲聞くのに。だからこんなところに書いておいてなんですが、お勧めしようがないのです、買えないんだもん。ピアノ、ベース、ドラムのスリーピースをバックに切々と唄う彼女、聞いて欲しいんです、皆さんにも。唯一の可能性として残されているのはO氏がわざわざ探してくれてイギリスのAmazonから得た「在庫あり」の返事。彼、俺のために一枚買ってくれたらしいのです(涙、もう涙)。何週間か後に本当に届くのかどうか?心待ちにしたいと思います。ちなみにアルバムのタイトルは[Never to far]、興味を持たれた方は探してみて下さい。もしも耳よりな情報がありましたら連絡もお待ちしています。今もi Tunesから流れるCompanyを聞きながら、多分初めての音楽ネタコラム、書いちゃいました。

Mar/20/03

「ドーナツが好きなわけ」

ドーナツのことが好きなのです。嵐の中でも、我慢できずに駅前のmister Donut へ行ってしまう。もしあなたがドーナツなんて単語は見るのも不愉快で、死ぬほどドーナツを恨んでいたら申し訳ありませんが、飛ばして次を読んで下さい。

最近読んだ本の中に、このドーナツの穴の起源が載っていた。初めて穴のあいたドーナツが世に現れたのはなんと1847年のことらしい。アメリカ、メイン州はキャムデンという小さな町のベーカリー、ハンソン・グレゴリー君(15才)という見習いの少年は毎日たくさんの揚げパンを作っていた。揚げパンは中まで火が通るのにどうしても時間が掛かって効率が悪い。そこでハンソン君は考えた。「真ん中に穴をあけたらどうだろう?」と揚げパンの中心をくり抜いてみたら、火の通りは良いし香ばしいしかっこは変だけどこいつは美味しいじゃないか!、ってのがドーナツの起源らしい。

ドーナツの穴を存在と捉えるか無とするか?考えたことがありますか?
俺らみたいな生き方をしていると、というより、もっと俺個人的に言えば、あの穴を無だとされると、自分の存在価値を否定されているような、どこかさっみしい気持ちになっちまうのです。
あの穴があるからこその美点。そこにしか見つからない理由みたいなものもあるんじゃないか、と。まぁどーでもいいことじゃぁないかと言われればどーでもいいことなんだけど。ライブ明けの気だるい朝、皿の上で待ちかまえていたドーナツと目が合ってしまいどうにも視線を絡め取られたまま無言の対話をしてしまったりすると(しないね、普通は)、彼らに関係ないところで繰り広げられてきた「穴論争」やら、トラディッショナルなドーナツとしてのあるべき姿だとか、本人達よりも人気の出てしまったミスタードーナツのおまけなんか、
結構他人事ではないような妙な気分になってしまい、「苦労、してきたんだよねぇ、それなりに」かなんか話しかけてしまったりもするのです。あの穴は、人間におけるある種のメタファーとして世の中に知らず知らず受け入れられている、そんな慈愛に満ちた視線でドーナツを見つめ直してみると、いませんか?あなたの周りにも、ドーナツ的な人が?
その穴を在るべきものとすると不思議と理解できそうな、そんな人が。足りないものを数えて誰かと比べるよりは、そこにあるものをちゃんと評価してその価値を認める事が出来れば、色んな人と今より話しがしやすくなりそうな、そんな気持ちにさせてくれるドーナツのことが、俺は好きなんです。

Nov/05/02

「リアルライフを、遊ぶんだ!」

とある動物系のサイト、ペットと付き合っていくうえでの心得として。
「...その命はあなたの手に委ねられるのです。あなたにその覚悟がありますか?人と違って、飽きたらポイっというわけにはいかないのです。...」
これには、うけた。どうも最近、目に見えないはずのモノが勘違いとしか思えない別の何かに置き換えられているような、そしてとても軽んじて言葉にされているような、そんな気がしてしょうがない。あー、何か理屈っぽいこと、言いそうで嫌だな。

BMXのリストアが一段落してふと、思ったことがある。最初に買った車が車だっただけに、調子の悪いところやへたっている部品をひとつひとつ修理、交換しながら乗っていて、それが当たり前でもあった。熱海の森野さんと出会ってからは、自分の手で直す方法を教えてもらい、以来ディーラーなんぞとは無縁のカーライフが今も続いている。
「買い換えたほうが安いし早いですよ。」
電気屋で、車屋で、楽器屋で、今まで至るところでそう言われてきた。確かにその通りなんだ。修理してまでそれを使い続けるメリットは薄いだろう。
でもね、それ以前にさ、付き合い方、なんだよ、問題なのは。いい悪いを言っているんじゃなくてね、俺、個人の話し、だけれど。直らないんじゃなくて、直さない。これも付き合い方のひとつだし、とりあえず直そうとしてみる、のも付き合い方だし。そうやって仲間を見渡してみると、俺の周りには「直す派」が沢山いるみたいで、しかも、それを特別な事としてではなく(やってることはすごいこと、やってんだよ)ごく日常的に身の回りにそういう空気を漂わせている人が多いんだね。そこには多分、想像出来ない位膨大な時間の積み重ねがあり、数え切れない位の傷跡だってあるはずなのに、そこまでは決して見せない。ただ言えるのは、物事を計るスパンが、長いよね、そういう人は。理解されにくいこともあるんだろうな、そんな部分は。その分、金額には置き換えられないその人だけの情報を、持ってるんだ。

古いチューブのステレオ、好みのスタイルに近づかないチョッパー、ほとんど娯楽の域にしか見えないだろうそれらに、結局は囲まれている俺。直すためにはそれなりの工具もいるし、そのための知識もいるし、自分に足りないものは挙げたらきりがないし時間もかかる。材料は違ってもやり方が同じ事も、また多いんだ、これが。そう置き換えて考えると、やっぱり一番リアルに身近な出来事はさ、面白くて哀しく、楽しくも寂しい人間関係、なんだって思う、今日この頃です。

Oct/8/02

「Hair Cut」

俺は「すちーぶ・まっくいーんみたくして下さい」って言ったのに、
出来上がりはどーみてもE-YAZAWAだったという、
「失敗しないガーデンデッキ作り」なんて読んでいた俺が悪いっちゃ悪いのだけれど。

「投げっぱなし」

だってさぁ、テレビなんてみ〜んな脚本あるのにさ、しぜ〜んなふりしてんの、
あれ、たいしたもんだよねぇ、ねぇ。おまけにその本まで出てるっつーじゃん?
そうだ、本屋で見たけど、あの人、捕まっちゃったな、とうとう。
しばらくはおひさまとさよならだぜ、なーんつって。
今日もいい天気だったよなぁ、俺なんて洗濯しちゃったもんね。
でもね、全自動洗濯機、あれってあんまり沢山入れたら駄目なのな、知ってた?
回んないだ、全然、まいったまいった、ハハハハ。電気無駄使い。
そういえば、ガソリンも値上がりするってあいつがいってたっけ、
あいつ新聞もとってないのになんでそんなこと知ってんだ?
新聞っていえばね、神奈川新聞、すっごいよ〜あれ、ただものじゃないって感じ?
一面の見出しもヒットなんだけどスポーツ欄でしょ、やっぱり。
見出しが普通じゃないのっ、普通じゃないのっ、考えられないのっ!
「ベイスターズ、絶不調、投手難か!?」だってさ、ハハハ。読めないって口に出せないって。
え?、焼きプリン包み?、食べた?、食べたんだ!エライ!エライじゃん!
サイコーだったでしょ?何?手がベッタベタ?いーんだよそんなことは、
気にしちゃだめだって、ね、あれ、サ・イ・コ・ーだよねぇ。
あ、そうだ、こわれたプレーヤーってどうした?使ってない?だって使えないんでしょ?
くれないかなぁ、それ。友達にさ何でも直しちゃうのがいるんだよ。
ん?じゃ直してくれ?
あ、それは無理、諦めて。頼めないよ、そんなこと、悪いじゃん。
それはそうと車は直ったの?調子悪かったんじゃなかったっけ?
悪くない?あ、そう。じゃ誰かと間違えてるな、俺、ふんふん。
あ、そうかそうか、大事な相談があるって言ってたよな、何?
え、もういい?いいの?いいって何よぉ?それじゃ俺の気持ちはどーなんの?
せっかくここまでリラックスさせようと、な、リラックスしたろ?
こ・こ・か・ら、なんだから。リラックスしろよぉ、なぁ?
おっそうそう、リラックスって言えばさぁ・・・・

Sep/27/02

「Time is on myside」

部屋の時計を掛け替えたくて、街へ時計を見に行った。いつからか、時計にはちょっと妙な思い入れがあって、俺にとっては特別なアイテムと化している。不確かなこの世界において、時間だけは唯一絶対な数字、だと思う。そして時計は、それを人につたえる大切な道具なんだと思うわけ。その人の生活の中で時を刻むってことは、一緒に暮らしていくようなもんだから、時計によっては、時間を受け取る感覚も違ってくるんじゃないかって、気がする。例えばアナログの針を見るのとデジタルの数字を読むのは、脳の場所が違うんじゃないかな。今はいろんな器具に時間表示が出る機能が付いてはいるけれどあなたの部屋で時間が気になるとき、知らずに頼りにしている時計はひとつじゃないですか?それがきっとあなたにとってのメインの時計です。その時計があなたと一緒に生きている。俺の場合、メインはアナログに限る。アナログの針が一回りする感じが好き。そのメインの時計を変えるというのは、自分で受け取り方を変えるわけで、気分転換、新しいきっかけが欲しい時には手っ取り早くていいのです。

じゃ、腕時計は、ってことになると、難しいね、これが。常に一緒なわけだから、もっと思い入れは深い(笑)。今のところ、俺はしていない(笑)。持ってはいるんだけど、ある種の約束事のような意味合いのほうが強く、はめずにいつも見える場所にぶら下がっている。別にマニアじゃないから高価なものには興味がないし欲しいとも思わない。限度は1万円を超えるか越えないか、安くても使ってて馴染むほうがいい。他の人がしている時計を見てみると、どこかその人の生き方みたいなものに通じている部分があったりして、結構面白いよ。
その人の価値観が暴露されてしまったりもするしね。だから、滅多にないけれどプレゼントされたりするとドキッとしたりしてさ(笑)。相手はそんなこと知らないけれど、俺の中では特別な出来事なわけよ。思うに、贈り物としての時計っていうのは、時間っていう唯一絶対の価値観の中でその流れに負けないような約束を結んでくれるお守りみたいな、そんな切なる願いと希望がこめられているような気がするわけ(笑)。何かばかみたいだけどさ、思い入れが強すぎるんだね、きっと。まぁ、贈ったところで説明書きを付ける訳じゃないから、誰もそんなこと気にしないし(笑)。そんなことを抜きにしても、時計を選ぶのは楽しい。
時計売り場でたくさんの時計を見ていると、こいつらは、何処でどんな時間を刻むのだろう?なんて考えながら、自分の時間に合いそうな時計を探してみたりするわけです。本当にいろんな種類の時計があるけど、合いそうなのはなかなか見つからないね。まぁ、イメージに合うものと出会うまで、時計売り場を彷徨うことになりそうだ。あなたも、今一度部屋の時計、意識してみると面白いかもしれないよ。

Aug/23/02